韓国の「水害」はなぜ毎年くり返されるの?

韓国のくらしと日常

              〜自然のせい?それとも人のせい?〜

こんにちは!韓国在住20年のくじらっくです。

2025年の夏、また韓国で大きな水害が起きました。
毎年のようにニュースで見る「洪水」「冠水」「崩落」…
でも、ふと思うんです。

「これは本当に“予想できなかった災害”だったのかな?」
今回は、ちょっとまじめに、「自然災害」と「人災」の境目について考えてみます。


雨が変わったんじゃない。変わったのは“人のほう”

最近の韓国、どんどん街が開発されて、高層マンションや直線の川が増えました。
でもそのぶん、自然が減って、雨が逃げる場所もなくなっています

ちょっと降っただけで水があふれるのは、雨のせいじゃなくて、“人の準備不足”かもしれません。


インフラがあるのに、なぜ守れなかった?

もちろん韓国では、政府や自治体が対策を考えてはいます。
でも、予算や実行の遅れで、「思っていたほど整っていなかった」ことも多いのです。
たとえば、ハザードマップがあっても、住民にきちんと届いていないことも。


“人災”って、失敗というより「無関心」の結果かも

毎年同じような水害が起きて、「またか…」で終わる。
その背景には、「誰かがなんとかしてくれるだろう」という空気もあるかもしれません。

誰もがちょっとずつ目をそらすことで、大きな“人災”ができあがってしまうのかも。


実は、これって日本にも当てはまる話

韓国だけじゃなく、日本でも毎年のように水害が起きています。
川の氾濫、ゲリラ豪雨、土砂災害…でもどこかで他人事にしていませんか?

韓国の話は、私たちの未来の鏡なのかも。


「自分ごと」として考えることから

「行政が悪い」と言う前に、私たち自身にできることもあります。

  • 自分の住んでいる場所、ハザードマップ見たことある?
  • 高台や避難所、家族で共有してる?
  • 「危ないかも」と思ったとき、何かした?

小さな準備が、災害を防ぐ“大きな壁”になることもあります。


自然の声に、耳をすませて

「水は、流れを止められたとき、災いとなる。」
「災害とは、“無関心”の上に降るメッセージ。」

自然はほんとうは、やさしくて豊かなもの。
でも、私たちが見て見ぬふりをしたとき、そのやさしさは“怒り”に変わってしまうのかもしれません。


まとめ

小さな備えが、大きな守りになる

韓国の水害は、決して遠い国の話ではありません。開発や無関心の積み重ねが、自然の流れをさえぎり、“人が招いた災害”になっているのかもしれません。
それは、日本にも起こりうること。
だからこそ、「うちは大丈夫」ではなく、もしかしたら」に備えることが大切です。
避難所を知ること、家族と話すこと、そんな小さな行動が、未来を守るやさしさになります。

自然は、やさしさを忘れたときにだけ、怒るのかもしれません。
今日から少しだけ、身の回りを見つめてみませんか?

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